馬喰横山町駅で電車を降り、目指すレジデンスへ向かう。コクヨ―レ日本橋があるのは、日本橋堀留町だ。かつては、東堀留川、西堀留川の二本の川が流れており、その川の端に位置することから、ここは堀留(ほりどめ)という地名が付けられた。現在、川は埋め立てられ、児童公園になっていた。周辺にはオフィスビルや、マンションなどが立ち並んでいる。
コクヨーレ日本橋の外観は、おしゃれなタイル貼り。薄い茶色の色調は、重厚な印象だ。広々としたエントランスホールには、応接コーナーやミーティングルームがあり、商談でも使えそうだ。部屋はダブルオートロックシステム。防犯カメラの設置など、セキュリティ面が充実しているため女性でも安心して暮らせる設計だ。
コクヨーレ日本橋の外観 閑静なオフィス街に建っていた
堀留児童公園 かつては運河だった
今でこそ、この周辺は高層ビルが立ち並ぶオフィス街だが、60年前は、今とは全く違う様相を呈していた。堀留町は、かつて運河の水運を利用して日本各地からの特産物を扱う船荷問屋が集まる町だった。河岸に近く、本町通りにも人形町通りにも出やすく、水陸の物資輸送の拠点として重要な場所だった。そのため、江戸時代は材木・薪炭・畳表などを扱う問屋が多かったが、明治から昭和にかけては織物問屋が集中することとなる。
その老舗の一つだったのが、薩摩商店だ。かつて、コクヨーレ日本橋が建っているまさにこの場所で店を構えていた、日本有数の木綿問屋だった。薩摩商店の創設者は、薩摩治兵衛。幕末の動乱期や西南戦争の折に木綿が不足することを見越して商いをし、巨万の富を得た。その後、海外製の錦織物なども輸入して、さらに莫大な富を得て、1899年の東京織物問屋売上高ランキングで1位となったこともある。文字通り豪商へと上り詰めたのだ。
日本橋 橋の上に高速道路がかかっている
だが、時代の波は、外国との取引を積極的に進めた企業に厳しく、過酷なつけを払わせることになる。栄華を極めた薩摩商店は、1929年の世界大恐慌の煽りを受け、また、関東大震災、東京大空襲を経て、1933年には、敢え無く廃業に追い込まれるのである。薩摩商店と同時期に廃業した店も多かった。
戦後、復興に向けて巻き返しを図ろうとしていた日本橋に、さらに衝撃的な問題が起きる。東京オリンピックのインフラ整備に合わせて、東京都は日本橋の橋の真上に、高速道路を建設した。準備時間が無い上に、用地確保が容易に出来るという理由からの決断だった。日本橋の誇りともいえる、橋を覆い隠されたことで、日本橋に暮らす人々は、ショックを受けた。
その後、バブルの全盛期とともに、日本経済は上向きに転じたものの、日本橋界隈への経済効果は今一つ伸び悩んだ。そして、バブルの収束後には、日本橋の活気はますます衰えを見せ、繊維業界ではこれといった活路を見いだせないまま、今日に至っている。
新大橋通と人形町の交差点 古いものと新しいものが同居する日本橋
そこで、三井不動産株式会社が中心となり、2004年、日本橋再生計画が持ち上がった。「残しながら、蘇らせながら、創っていく」をコンセプトに、日本橋地域の活性化と新たな魅力を創造するプロジェクトが動き始めたのだ。これには、日本橋の誰もが胸を躍らせた。折しも、二度目の東京オリンピックが間近に迫っている。日本橋を再生させようという勢いで、官民地元一体となって盛り上がっているのだ。
再生計画は、すでに走り出している。百貨店として長年日本橋をけん引してきた東急日本橋店が閉店し、その跡地に、百貨店や老舗名店の伝統を活かしつつ、現代的スタイルを提案するショッピングモールのコレド日本橋を建設したり、歴史的建造物の復元と保存をしながら、街の再生を目指している。橋そのものを毎年一回丸洗いしたり、全国から子供たちが集まり、橋サミットを開催している。日本橋再生はまだ道半ばだ。
コクヨーレ日本橋も、日本橋再生の一環として、2005年に三井不動産株式会社が建設した。薩摩商店が見たどでかい夢は、今、歴史と伝統の街で再び息を吹き返し、次の世代へ引き継がれようとしている。
物件名称 | コクヨーレ日本橋MAP | 所在地 | 東京都中央区日本橋堀留町2丁目5番12号 |
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賃料 | 112,000 円~235,000 円 | 交通 | 東京メトロ日比谷線「人形町」駅徒歩5分 |
間取 | 1LDK,2LDK,1K | 専有面積 | 28.96㎡~64.92㎡ |
構造/階建て | 鉄骨鉄筋コンクリート造/地上12階地下1階 | 築年月 | 2005/02 |
総戸数 | 130戸 | 管理人 | 通勤 |
駐輪場・バイク置き場 | 設備 | 、 | |
特徴 | 備考 | ||
特記事項 | 次回更新日 |
メインエントランスは、石造りの堅牢なイメージでホテルのようだ。中に入ると、外観とはうって変わってカラフルな印象だ。ロビーには広い談話コーナーがあり、待ち合わせや、商談ができる使い勝手の良いスペースとなっている。
オフィス街でもあるコクヨ―レ日本橋の周辺には、デイリーヤマザキ、ローソン、ファミリーマート、セブンイレブン、の4つのコンビニエンスストアにアクセスできる。お昼ともなると、ビジネスマンが列を造っていた。食品を求めるならば、まいばすけっとが近いので嬉しい。コンビニもスーパーも、歩いて3分の距離がありがたい。
椙森(すぎのもり)神社(約150 m/徒歩2分)
平安時代に平将門の乱を鎮定するために、藤原秀郷が戦勝祈願をした所といわれている。宝くじの元祖である富くじを江戸時代に最初に始めたことでも有名。
東京メトロ日比谷線「人形町」駅 (約400m/徒歩5分)
開業85周年の「株式会社青柳」(約50m/徒歩1分)日本橋衣類問屋の老舗のひとつ
三光稲荷神社(約200m/徒歩3分)付近に住んでいた絹布問屋の田原屋村越庄左衛門、木綿問屋の建石三蔵の両家が江戸時代初期に勧請したと言われている。猫を見失ったときに、お参りすれば見つかるとのことで、お札がたくさん貼ってあった。
地下鉄「人形町」駅から明治座までの約400mが甘酒横丁。甘酒やあんみつなど甘味処が軒を連ねる。
街頭では、人形町寄席の情報や、神田・末廣・松島の3神社連合祭の告知がされていた。
記事作成 2017/05/01 岡田和彦