地下鉄麻布十番駅から地上へ出ると、すぐ前に「一之橋」と書かれた交差点がある。複雑に入り組んだ高速道路の真下には、古川という川がゆったりと流れており、そこには小さな橋が架かっている。確かに「一之橋」と書かれている。一之橋があるのなら、二之橋、三之橋もあるのだろうか。探してみると、四之橋は見つけたものの、五之橋は見当たらない。いったいこの橋は、いつ頃、何のために掛けられたのだろうか。調べていくうちに、この場所は、江戸時代の一人の将軍の気まぐれな気持ちと関係があることが分かってきた。
複雑に入り組んだ高速道路の下を流れる古川。ここに一之橋発祥の秘密があった。
レジディアタワー麻布十番外観。地上25階建ては、周辺で一際高くそびえるビルだ。
300年以上の昔より善福寺(麻布山)の門前町として栄えてきた麻布十番。古川を中心とした交通の要所、馬市や馬場もあり、多くの大名の下屋敷や家臣の住まいも築かれ、早くから町人の街、庶民の町が形作られた。
1697(元禄10)年、麻布の町に、突然ある話が持ち上がった。現在の南麻布に、ときの将軍徳川綱吉の別邸「麻布御殿」(白山御殿)が造られることとなったのである。その建設資材たるやとても大きなもので、人の手ではおろか、馬や牛を使っても運び込むことは難しかった。そこで、当時から交通の足として機能していた古川を使って運ぶことになったが、改修工事を大規模に行う必要が出てきた。また将軍は我儘を言ったのか、直接、船で古川をさかのぼって麻布御殿に入ることも想定された。そこで、川幅を広げる工事をしたり、掘り下げも行なったようだ。普請のための土運びや資材を運ぶ人足場を、古川の河口から「一番」、「二番」と順に設けていき、その十番目にあたる「十番組」が現在の麻布十番と呼ばれる近くであったことが、「麻布十番」の地名の由来といわれている。
1699(元禄12)年には、川幅の拡張をする際、麻布十番付近にあった岡田将監(しょうげん)の屋敷の西側が召し上げられ、新堀堀割となって「一之橋」と「二之橋」が架けられた。ここで初めて一橋が誕生した。苦労して完成させた麻布御殿は、結局、綱吉が2度訪れただけで、わずか数年後には火事で焼失してしまった。しかし、工事で拡張された新堀川の川沿いは以前よりも賑わいを増し、人も集まり商店も栄え、麻布十番の基盤を作ったと言える。その後、「一之橋」のたもとには1716〜1736年(享保年間)の頃から新河岸と呼ばれる荷揚げ場ができるようになり、近隣の住宅へ、薪や炭を運ぶ役目も果たすことになった。かつては大名屋敷を中心とした市街地が形成されて活気を見せていた街も、明治40年代に入りトロリー電車が通るようになると、古川などの水上交通の役割は急激に少なくなっていった。
レジディアタワー麻布十番の裏手を流れる古川。江戸時代にはこの川を使って徳川綱吉の別邸建設の資材を運んだ。
一之橋から4分ほど歩いた場所に、今回、取材をするレジデンス「レジディアタワー麻布十番」が建っていた。建築デザイナー設計によるこだわりのデザイナーズレジデンスだ。地上25階建ての鉄筋コンクリート造。外壁の白さが光を受けて、まぶしく輝いていた。外観は、一切の無駄を省いたデザインとでも言おうか。清々しくて、堂々とした存在感を放っている。エントランスを入ると、まるで高級ホテルのような贅沢な雰囲気のロビーホールが待ち受けていた。間接照明に照らされた調度品や、ソファに包まれると、とても落ち着いた気持ちになってくる。この建物に住まう人であれば、毎日がこうした歓迎ムードを感じて暮らすことになるのだ。なんとも羨ましい。
このタワーレジデンスは、24時間の有人管理がコンセプトで、日中の8時~22時はフロントにコンシェルジュが常駐しており、タクシーの手配やクリーニングの取次サービスなどを行って住人のサポートをしてくれる。また、この建物の特徴は何と言っても免震構造を採用していることだ。土台部分には、免震層を使って大きな揺れを吸収する仕組みが組み込まれている。免震層では、建物に大きな衝撃が直接伝わらないよう、巨大なゴムを使ってダメージを吸収し、抑制する仕組みがある。建物と、周辺の地面とは、完全に切り離されているため、周辺が揺れても、建物には直接衝撃は伝わらない。レジディアタワー麻布十番の周辺を歩いていると、地面に砂利が敷かれていて、周辺の地面と僅かに隙間が空いている個所がある。それこそ、地面と免震層の狭間の部分なのだ。なんとも頼もしい、建物ではないか。
レジディアタワー麻布十番の外観。外壁の白が塔をイメージさせる。
門前町が築かれていった原点を見ようと、善福寺をたずねてみた。夕暮れの善福寺には人影もなかった。お寺の境内から門前に広がる世界を眺めてみた。黄昏の麻布十番の街が一望できる。上品で大人の街というイメージのある麻布十番だが、夜は夜で賑やかな街になり、別の魅力が溢れているに違いない。
ときの権力者に忠義を誓い、古川の川幅を調整するという途方もない力を注いだ先人が居た。「レジディアタワー麻布十番」に住めば、毎日、一之橋を渡って麻布十番駅に通うことになる。橋を渡るとき、「俺たちの力で将軍様のために、一番目の橋―一之橋を作ったのだ!」誇り高き職人たちの声に、時々は耳を傾けてみてほしい。
物件名称 | レジディアタワー麻布十番MAP | 所在地 | 東京都港区三田1丁目1番12号 |
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賃料 | --- 円 | 交通 | 東京メトロ南北線「麻布十番」駅徒歩4分 |
間取 | 1LDK,1R,2LDK,3LDK,1K | 専有面積 | --- |
構造/階建て | 鉄筋コンクリート造/地上25階地下2階 | 築年月 | 2003/01 |
総戸数 | 113戸 | 管理人 | 日勤 |
駐輪場・バイク置き場 | 設備 | 、 | |
特徴 | 備考 | ||
特記事項 | 次回更新日 |
エントランスからロビーに入ると、まるでホテルのような雰囲気だ。大理石調の床は歩くたびに洒落た靴音が鳴り、ソファや調度品は間接照明に照らされて質の高さを語り掛けてくる。居心地の良いロビーホールに腰かければ、フリードリンクの挽きたてコーヒーの香りが、さらにラグジュアリーな気分にさせてくれる。これこそ、本物のホスピタリティだ。
館内にはオートロックの他、防犯カメラが随所に設置されており、不審者を入れないためにしっかりと防犯対策を施している。また万が一エントランスに入れた場合でも、コンシェルジュが在駐しており、訪問者の出入りを逐一チェックしているため、安心だ。
免震層が建物の土台部分に組み込まれており、激しい揺れでも免震装置が衝撃を吸収してから建物に伝わるため、建物は小刻みに揺れ、地震に強い構造になっている。建物土台部分には、地面と建物とが摩擦を起こさないよう、わずかな隙間があいており、スライドしながら衝撃を吸収出来る仕組みになっている。
善福寺(約600m/徒歩8分)幕末に初代アメリカ公使館となり日米友好の絆を深めた。近代日本の礎を創った福澤諭吉や益田孝といった多くの偉人たちも訪れている。この寺の門前町として、麻布十番は栄えた。
麻布十番駅前にある成城石井麻布十番店(約400m/徒歩5分)高級食材や輸入食材も手に入る。
新広尾公園親水テラス(約500m/徒歩7分)古川流域を散策しながら楽しめる。
古川の上には、二重に高速道路がかかり、奥には東京タワーが見える。一之橋インターチェンジ付近の風景。
麻布十番大通り(約300m/徒歩4分)昔ながらの飲食店やお洒落なカフェ、ファッションブティックなどが軒を連ねる。
都営大江戸線と南北線が乗り入れる地下鉄「麻布十番駅」(約300m/徒歩4分)
記事作成 2017/8/3 岡田和彦